或る自嘲的日記

人に生まれたかった

11/23

 今日、私は人生で初めて感情というものを表に出した。

 自分自身が生きていることに対する罪、自分が存在しているという罪、自分が生きていることによって誰かがいずついているという罪。自分の中に回る無意味な罪悪感が自分の中を駆け巡り、自分でも処理できないほどに大きくなり、感情として表に出た。

 自分が他人にひどく迷惑をかけているのだという、苦しみはいずれと悲しみに変わった。本来、人間は自らの中に悲しみという感情が噴出したときに、泣くといった動作をするようにプログラミングされている。これだけの悲しみを持っているのだ。私もえんえんと子供のように泣き叫びたいそうみじめな姿になるのだろうと考えていた。
 
 しかし、私は泣くことは無かった。悲しみという感情はとっくの昔になくなっていて、それと同時に泣くという動作自体も忘れてしまっていたのだ。

 私は笑いつづけた。こんなにも不完全な人間がこの世に存在することがたまらなく滑稽であった

 悲しいのに笑っている。この行動的な矛盾でさえも私には笑いの種にしかならなかった。

 自らの感情の整理もつかぬ人間は不必要なのだ。

 そうして、笑いつかれて寝た。

この日記について

 この日記は、存在する理由さえ曖昧な私に何が残っていたのかという証明である。そのために、私がどんな人間であったかはここでは説明しない。

 このブログサイトは私がまだ人間であったころのものを改ざんしたものである。よって、人間だった残骸が多く残っている。もし不快であるならば消していくが、自分が人間であったことが忘れたくないのでできる限り残しておきたい。
 
 この、日記は私の主観によって得られた、ひどくゆがんだ世界を、幼稚な文章で表していくため不快であることが多いと思う。しかし、見たくないのならば目を塞いでもらっても結構である。まぁ、幼稚な人間の書く幼稚なフィクション小説だと思ってもらえれば幸いである。